如来 (にょらい)とは、
仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。
あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。
代表的な如来である
釈迦如来(または釈迦牟尼仏)・・・仏教の開祖釈迦(ガウタマ・シッダールタ)
大日如来・・・両曼荼羅界(真理面を象徴する胎蔵界マンダラ・智彗を象徴する金剛界マン ダラ)の中心となる仏。
宇宙の根源とされている仏。
密教界においては、仏・菩薩もこの如来から生まれる法身仏とされている。
普通、如来は出家した僧の姿をしているのですが、
密教の仏である大日如来だけは違います。
大日如来はほとけの王を考えられている為、
又は、この世で仏教の理想を実現するために、普通の人の姿で表現している
とも言われています。
また、五智如来は大日如来を中心とする東西南北に4如来を
配置したものです。
名称の由来は大日如来の宝冠を五智宝冠と呼ぶことから、
五智如来と呼ばれています。
五智如来
┣ 金剛界:大日如来・阿弥陀如来・阿閃如来・不空成就如来・宝生如来
┗ 胎蔵界:大日如来・宝どう如来・開敷華王如来・無量寿如来・天鼓雷音如来
密教において宇宙そのもの、その光明が遍く照らすところから遍照、
または大日という。
阿弥陀如来・・・「阿弥陀も釈迦と同様に、もとは、インドの王子で、
48の大願を立て、修行の末に如来になったとされています。
48の大願の中に、「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」
と説いて、これが阿弥陀信仰が盛んになった理由です。
ちなみに「ナム」は「南無」と書いて「帰依します」の意味。
「ブツ」はもちろん「仏」で、「ほとけ・如来」の意味。
「アミダ」ですが、これはサンスクリット語のアミターユス、
アミターバの音を写したもので、「無量寿」「無量光」と音漢訳し、
それぞれ「無量の寿命」「無限の光」を意味しています。
両方の意味を含めて「アミター」「アミダ」となりました。
西方にある極楽という仏国土を持つ(極楽浄土)。
「空間と時間の制約を受けない仏であることをしめす。
薬師如来・・・ はるか東にあるほとけの世界、東方浄瑠璃世界の教主で、
正しくは薬師瑠璃光如来という。
まだ、如来になる前の菩薩だった時代に立てた12の大願の中に、
あらゆる病気や障害を除きたい、という誓願を立てました。
ですから、日本でも古くから、病気平癒を願って多く像が作られました。
如来像のなかでも、持物を持たない如来の中で例外的に薬師如来は、
持物を持っています。
人々の病気や障害を治すために薬の入った薬壺を左手に持っています。
のことを四如来という。
菩薩(ぼさつ)とは、
梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]の音写)は仏教において、
成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。
菩薩五十二位 について
大乗の菩薩の概念が定着すると、次は菩薩の階位が設けられた。
これは、大乗仏教の発展とともに細分化、構造化されたが、経論によって
所説が種々不同になった。
『華厳経』及び『菩薩瓔珞本業經』では、菩薩の境涯、あるいは修行の階位は、
上から妙覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信の52の位にまで分けられ、
この52位を採用することが多い。
妙覚(みょうかく)
菩薩修行の階位である52位の最後の位で、等覚位の菩薩が、
さらに一品(いっぽん)の無明を断じて、この位に入る。
なお一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視される。
等覚(とうかく)
菩薩修行の階位である52位の中、51位であり菩薩の極位で、
その智徳が略万徳円満の仏、妙覚と等しくなったという意味で等覚という。
十地(じっち、じゅうぢ)
菩薩修行の階位である52位の中、第41~50位まで。
上から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位。
仏智を生成し、よく住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教下利益することが、
大地が万物を載せ、これを潤益するからに似ているから「地」と名づく。
十廻向(じゅうえこう)
菩薩修行の位階である52位の中、第31~40位まで。
上から入法界無量廻向・無縛無著解脱廻向・真如相廻向・等随順一切衆生廻向・
随順一切堅固善根廻向・無尽功徳蔵廻向・至一切処廻向・等一切諸仏廻向・
不壊一切廻向・救護衆生離衆生相廻向の10位。
十行を終わって更に今迄に修した自利・利他のあらゆる行を、一切衆生の為に
廻施すると共に、この功徳を以って仏果に振り向けて、悟境に到達せんとする位。
十行(じゅうぎょう)
菩薩修行の位階である52位の中、第21~30位まで。
上から真実・善法・尊重・無著・善現・離癡乱行・無尽・無瞋根・饒益・観喜の
10位。
菩薩が、十住位の終に仏子たる印可を得た後、更に進んで利他の修行を
完うせん為に衆生を済度することに努める位。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・
方便・願・力・智の十波羅密のこと。
十住(じゅうじゅう)
菩薩修行の位階である52位の中、第11~20位まで。
上から灌頂・法王子・童真・不退・正信・具足方便・生貴・修行・治地・発心
の10位。
十信位を経て心が真諦(しんたい)の理に安住する、という意味で「住」と名づく。 あるいは菩薩の十地を十住という説もある。
十信(じゅうしん)
菩薩修行の位階である52位の中、第1~10位まで。
上から願心・戒心・廻向心・不退心・定心・慧心・精進心・念心・信心の10位。
仏の教法を信じて疑心のない位。
なお、十信を外凡、十住~十廻向までを内凡あるいは三賢と称し、
十信~十廻向までを凡と総称する。
また十地と等覚を因、妙覚を果と称し、十地~妙覚までを聖と総称し、
凡と相対する。
日本では、仏教の教えそのものの象徴である如来よりも、身近な現世利益・救済信仰の対象として菩薩がより崇められてきた。主な菩薩として、
母性的なイメージが投影される観音菩薩、
はるか未来で人々を救う弥勒菩薩、
女人成仏を説く法華経に登場し女性に篤く信仰されてきた普賢菩薩、
知恵を司る文殊菩薩、
道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩などが、尊崇されてきた。
不動明王とは、
梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、
全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。
空海(弘法大師)が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと
言われる。
「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した
「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。
「使者」とは、大日如来の使者という意味である。
密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が
「自性輪身」(じしょうりんじん)、
「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、
「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れるとする。
「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、
「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。
これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、
仏法に敵対する事を力ずくでやめさせる、外道に進もうとする者はしょっ引いて
内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。
煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
また、釈迦が成道の修業の末、悟りを開くために
「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、
世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま
降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられるが、
不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。
穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟で
あったというものである。他にも忿怒の相は、我が子を見つめる父親としての
慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われる。